フィールドは住人の居ない廃墟マンションの中庭だ。四方をコンクリート造の棟が囲み、その内側には常緑樹や放置された花壇の草花が植わっている。そのちょうど中央、円形に拓けた場所をスタジアムとすることを、ブレーダーたちは暗黙のままに定めた。
朽ちたベンチが一脚、錆びた街灯が二つぽつりと置かれているそこは、元は小ぶりながらもちょっとした公園に整えられていたらしい。地面はコンクリートのタイルが敷かれているが、土中から雑草や木の根に押し上げられて波打っており、逆に足場を悪くしている。青葉による日陰も多いが、肌に水滴がつかんばかりの多湿と午後の熱気の逃げ場は無く、体感温度を跳ね上げていた。
停滞した空気を先に切り裂いたのはドライガーだった。ランチャーから放たれて着地した一瞬後には大地を蹴り、ドランザー目がけて猛進を開始した。並のブレーダーであれば軸の安定を待ってから行動に移るところ、相手に息吐かせる間も与えないこの出鱈目な出力のスタートダッシュは、レイの得意とする戦闘スタイルだ。凸凹の激しい地面を大外から回り込み、ドランザーの側面を獲りに行く。
対してカイのドランザーは、シュート位置で高回転を維持しながら待ちの姿勢を見せていた。攻撃的な印象の強いドランザーだが、最大の特徴は戦法にあわせて切り替えられる可変軸にある。戦略に柔軟性を持たせられるカイの高いスキルを表すそれは、今回はシャープ軸にセットされていた。スピードにおいて、ドランザーはドライガーに一歩及ばない。その上初撃で相手をバーストに持ち込むこともあるドライガーへの対策として、ステータスを防御寄りの持久力に振ったのである。
カイの読みは当たり、トップスピードで突っ込んできたドライガーの一撃をドランザーは耐えた。弾かれたドライガーが反動で後方へ跳ぶ。踏みとどまり体勢を立て直そうとする一瞬に、今度はドランザーが仕掛けた。地面の凹凸の高低差を利用して上から斬りかかり、ドライガーのレイヤーに衝撃を与えた。ドライガーは左へバランスを崩し、レイヤーの片側が地面に擦られた。もう数撃も与えれば回転力を根こそぎ奪える。カイは様子見を入れずに連続攻撃に移ろうとしたが――その瞬間、コンクリートのタイルとドライガーのレイヤーが接触した箇所から、バチリと光が迸った。降り注ぐ日差しとはまったく異質な、瞬間的に高圧で弾ける白光。それは金属の摩擦が引き起こす電撃だった。レイヤーと床が触れる毎に威力を増し、やがてスパークは帯のように地の表面を奔った。
四方に弾ける電撃をドランザーは寸でのところで躱して一撃を加えるも、電撃の反発で体勢を持ち直したドライガーの牙を折るには至らなかった。それどころか、ドライガーは音を立てながら回転数を倍々で上げていく。ドランザーの回転を利用したのだとカイは気づいた。
雷光を身に纏い白銀の輝きを増すドライガーを前に、だがカイは当然、微塵の動揺もなく冷静に戦況を分析していた。ここは地面の凹凸が激しい上、タイルが剥がれて走るには突っかかりが多い。ところどころ土が剥き出し、摩擦抵抗で推進力も奪うだろう。荒れ放題の庭には石も多い。これら全てが直進の邪魔をするはずだ。現に、ドライガーの初手は大外周りからの一撃だった。余分な動きでスタミナを削られる上、トップスピードを長く維持できない。ドライガーには不向きのフィールドと言える。
対して持久戦仕様の今回のドランザーならば、障害となるものを全て避けても余裕がある。小回りを利かせることなどカイには造作も無い。スタミナを温存した分、手数で圧せる。
カイはドランザーを一度後方に退かせた。舞い上がる砂埃と草木の合間に紛れるよう変則的に走らせながらもスピードを落とすことなく、全ての障害物を最小限の動きで避ていく。カイはフィールドを立体的に把握する俯瞰能力に優れている。常に数段高い位置からの視点を持つ様は、蒼穹を羽ばたく鳥さながらだ。街灯やベンチ裏の陰を巧みに利用しながら、狙うは虎の背後。その一点に向けて方向転換を掛けようとしたまさにその時だった。
ギィン!と金属が交わる鋭い音が響き、ドランザーが盾にしていたはずの街灯が土煙を上げて真横に倒れた。鉄製の支柱は根元で断ち切られ、まるで猛獣の爪で引き裂かれたかのような断面を晒している。そして目の前には、距離を引き離したはずのドライガーが突如出現したのだ。
「何っ!?」
「白虎牙撃!!」
そのまま間髪入れずに攻撃に移ったドライガーの猛攻を何とかいなしながら、カイは確信した。カイが、レイとドライガーの性質を把握していたのと同様に、レイもまた読んでいたのだ。カイが地形を考慮してドランザーの軸を持久型にセットすること。世界最速クラスで疾走(はし)るドライガーに直線をとらせないよう誘導しつつ、自らは攻撃に転じてくるだろうこと。他の誰でも無い、火渡カイとドランザーなら成し遂げるだろうということ。
だから、レイはきっとシンプルに考えたのだ――即ち、邪魔なものは全て破壊しながら進めば、手っ取り早い!
地を削り、障害物を破壊し、獲物まで最短かつ一直線の道を自ら作り出す。これを実際にやってのける実力、咄嗟に他の全てを捨てて唯一を択る胆力。これほどのブレーダーが世界にどれだけいるだろうか!
カイは自然と口の端が上がるのを止められなかった。
(この、獣を超える闘争本能。勝利への執着!やはりレイ、貴様は強い!!)
「斬炎剣!」
ドライガーの猛打の僅かな隙をつき、ドランザーの紅い一太刀が斬り返す。青と白銀のレイヤーが激しく火花を散らし、その反動で互いに一歩下がる、そこでドライガーとドランザーは刹那の間、対峙した。
カイもレイも、息ひとつ乱してはいない。しかし一瞬でも気を抜くことのできない緊張、それを凌駕する悦びで心臓が踊っていた。血潮が滾り、身体が猛り震える。ともすると叫び出したくなる程の衝動を抑えつけるため、どちらとも無く深い息を吐いた。今、隙を見せた方が敗ける。互いに言わずとも分かるのだ。次の一撃で、決着になるということを。
「……半年ぶりになるか、カイ。さいごに会ったのはアメリカだったか?」
レイが口を開いた。
「今さらか。あと、半年ではなく一年ぶりだし、前に会ったのは日本の大会だ」
カイが応える。
「あいかわらず細かいな」
「貴様が大雑把でマイペース過ぎるんだ」
「まあ、そんなことはどうでもいい」
「ああ、そうだな。大事なのは……」
生まれも性格も対照的な二人だ。だが闘い方(生き方)の本質だけは、世界の誰よりも似ていた。
「「どちらが強いか、それだけだ!!」」
ブレーダーたちの額に輝く紋章が浮かび上がる。そしてその叫びに呼応し、ビットチップから光が溢れ聖なる獣が姿を現わした。
地から天、天から地に奔り抜けたのは雷光。幾重もの雷(いかずち)の柱が大地を割りながら一点に収束し形を成す。剥き出しの爪と牙、金属の尾、装甲を纏った白銀の大虎。西方の守護神にして獣たちの頂点、白虎がレイの前に降り立ち咆吼を上げた。
対してカイの眼前には、小さな火がひとつ灯っていた。それははまるで鳥の如く尾を引きながら優美に旋回を始めたが、そこから舞い散った火の粉も消えることなく新たな灯火となって追随する。その火がまた新たな火を生み、生じた熱エネルギーで加速を続け、やがて巨大な炎の渦となり暴力的な熱風を引き起こした。その渦の中心、灼熱の臨界を突破した神秘の領域から現れたのは、自らも激しく燃え盛る紅蓮の翼。炎の海からけたたましくも美しい産声を上げて誕生したのは、復活と再生の象徴たる朱雀。南方を守護せし翼あるものの王が今、光の粉を振りまきながら宙に羽ばたいた。
万物を構成する五元素の一柱そのものであり、人知を超える聖獣のエネルギーが、対となる者の身体に流れ込む。体内を蹂躙せんばかりの勢いで駆け巡るそれを我が血と成す者、「選ばれた者」たち。今、目の前の強敵を超えるため、白虎と朱雀を宿した二人は自らの中で凝縮させた力の全てを解き放った。
「白虎!白虎連射爪!!!」
「朱雀!爆炎放射!!!」
稲妻と爆炎が真っ向から激突し、衝撃波が巻き起こる。それに一歩も退くことなく、ベイは激しく競り合い火花を散らす。そしてカイとレイもまた、暴風に揉まれながらも相手を見据えたまま踏み止まっていた。これほどまでに全てを出し切っていながらなお、力が、魂が拮抗している。だが決して諦めないと互いの目が叫んでいた――勝つのは、俺だ!
「金李!!」
「火渡カイ!!」
二つのエネルギーの出力が更に上がる。しかしその接触点は、自然界に許された圧力の限界を超えていた。ぶつかり合っていた力は、やがて互いを引き込みながら一カ所に収斂し――閃光の後、雷と炎が絡み合う柱となって空へと噴き上げ、消えていった。
光と熱が過ぎ去った庭園。舞い上がる土煙の中、それでもまだ二つのベイは生きていた。
カイは煙の向こうに並ぶ影を凝視し、耳を澄ませていた。ドランザーの回転する音がどんどんと弱まっているのが分かる。もう数秒と保たないだろう。奥歯を噛みしめたカイの耳に、ふと、透き通ったレイの声が届く。
「おれの、……だな」
一陣の風が吹き、視界が晴れる。
カイの目に映ったのは、回転を止め横たわるドランザーと、パーツが散けたドライガー。そして、解けた髪を風に流して笑う、レイの姿だった。