pixiv用タグまんまで失礼します
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「とりあえず、今晩の宿を探す必要があるな。腰を落ち着けて本社と連絡をつけたい」
時刻は19時を回っていた。事が事だけにカイの続報を待っている部下たちの為にも、早めに場所を確保したいところだ。牙族の問題はすぐに解決できるものではないが、汪から火渡という切り札を引き剥がすことはできるとカイは踏んでいる。それには、自分だけの力では到底不可能だ。事情を打ち明け、協力を得るためビデオチャットで打ち合わせを開きたい。
カイはスマートフォンで近場の宿泊施設を検索したが、やはりと言うべきか一件もヒットしなかった。高台の下からは、屋台街からは酒の回った客たちのがなり声、食器の割れる音が響いてくる。街中に入れない以上、治安は諦めるとしても、とにかく静かな場所が必要だった。
二人で高台から下り、夕飯の世話になった屋台に戻る。英語の通じる店主に、辺りの宿に心当たりが無いか尋ねるためだ。
店主は、酔っ払い相手に水をぶっかけながら「あんたの泊まるようなホテルは無いよ」と答えた。そしてカイを見ながら「この辺りで上等なスーツを身につける職は無いからね」と付け加えた。決して嫌みではなく、淡々と事実を述べているようだ。
そう言われて、カイはピンときた。そしてすぐさま、より丁寧な英語でこう返した。
「俺があなたからどう見えているかは分からないが、よく見てくれ。こんなに草臥れ、すり切れたスーツを纏い埃にまみれた現役のホワイトカラーがいるか?上等なのは、今は服だけだ――あなたなら、こういう事情に理解があるはずだ、ミスター」
店主は仕事に戻ろうとしていた手を止めた。カイは続ける。
「このスーツのブランド名も完璧に言い当てられるのでは?何より、その流暢なクイーンズ・イングリッシュを聞けば分かる。あなたは、理解ある方だ」
カイの持って回った台詞に、隣のレイは小首を傾げていた。しかし店主は思うところがあったようだった。カイのスマートフォンのマップを見せるよう要求し、とある一点をマークした。看板こそ出していないが、いわゆる流れ者相手に部屋を貸しているらしい。この都市では無数に存在する商売のひとつだが、ことさら安く、穴場だという。
礼とともに一杯分のコインを渡して去ろうとするカイとレイに、店主は言った。
「俺も、スーツを毎朝プレスしてビルの上層フロアで働く生活を送っていたよ。A社って知ってるか?まあ、大昔の話さ。今となっては、そんな一流企業勤めだったなんて、誰も信じちゃくれないがね……Pray for you.」
店主の歳の頃から察するに、アジア金融危機の煽りを受けた世代かもしれない。カイの祖父の代のころ、大陸の企業では大規模人員整理が一斉に行われたと聞いている。店主は、自分とカイを重ね合わせて励ましを送ったのだ
「……カイ、役者とか向いてるんじゃないか?」
「嘘はついていない。あちらの教養と想像力が豊かだったと言うだけだ……こら、そういう目で見るんじゃない。これも世渡りだ」
店主の示した先は、いかにも怪しい露店の並ぶ一角に建つ、五階建ての建物だった。外壁はコンクリートが酸化して黒く汚れており、ところどころ大きな亀裂が入っているが放っておかれている。そこにエアコンの室外機が所狭しと無理矢理に貼り付けられており、露店のライトや看板で暗闇にぼうと照らし出されて異様な迫力がある。
出入り口はガラス戸が開け放されており、何故かケバブ屋が傍で店を出しているので煙で覆われている。見るからに無法地帯といった様にカイは思わずGPSの精度を確かめた。
「……ここで間違い無いはずなんだが……」
「観光で有名な重慶[[rb:大厦 > マンシヨン]]と似たようなものだろう」
「いや五倍くらい酷い」
カイとレイがそんな会話を交わしている間に、幾人かが建物に入っていく。みな様々な年齢や服装であるが、いわゆる上等な格好とは言えない。
建物に入る直前、レイが「少し待て」と言い置き近くの露店に向かった。そして一枚の布を手にして戻ってきた。
「カイ、これで顔かくしておけ」
カイの頭におもむろに被せられたのは、深緋の大判のストールだった。
「何で俺だけ……」
「カイはここでは色々と目立つ。ここからは治安の質が違う、そういうにおいがする」
確かに、人種も服装も多様な人間が往来しているが、カイは容姿とあいまってやや浮いている感は否めない。バトルで酷い有様になっていたが、この辺りでは見ないスーツ姿や透き通る繊細な銀髪、スラっとした健康的な長身はどう見ても生活圏が違う人間だ。一方でレイの民族衣装や長い髪は、奇抜な服装も多い往来の中ではそこそこ大人しく見えるのだった。
カイは宿の部屋に着くまでは大人しく従っておくことにした。自分の顔は今や一人だけのものでは無いからだ。
ケバブ屋の煙を潜って建物の中に入ると、すぐ脇に古い映画館のチケット・カウンターのような窓口があった。「案内」という手書きの看板が掲げられている。アクリル板で仕切られた向こう側には、傷みきったブリーチ髪の女が座っていた。レイがそこでいくらか手短に話してから戻ってくる。
「部屋は借りられる。四階だそうだ」
「どんな部屋か想像したくないが……やむを得まいな。ちなみにツインか?」
「ついん?」
「いやまあ一部屋なのだろうが……」
カイにとって、レイとの宿泊は一足飛ばしに進んだ未知のイベントである。何せこの十年で初めてといっていいほど会話をしたばかりなのである。BBAで遠征をしたこともあったが、タカオやマックスたちがいつも間にいた。修学旅行の前日のような緊張感がじわりとこみ上げてくる。一方のレイはいつも通り、全く何も気にしていない澄まし顔である。
そんな心境はおくびにも出さず、フロアの奥に進もうとしたカイとレイの後ろから、訛った英語で野次が跳んできた。
「よぉお姫サマたち!ここはあんたらみたいなのが来るとこじゃ無いぜぇ」
「俺たちと泊まれば労働の代わりにタダにして差し上げマスわよぉ」
ゲラゲラと下卑た笑いで絡もうとする男たちなぞ相手にしている暇は無い。明らかに何かキマっていて面倒だ。カイもレイも全く意に介さずその場を離れようとしたが、無視された男たちは腹いせに受付嬢に悪質な絡みを始めたようだった――が、次の瞬間には、男たちは頭から床にすっ転んでいた。その後ろには、汚れを払うように右足をぷらぷらさせているレイが立っている。そのままカイとともにフロア奥に立ち去ろうとする背に受付嬢の声が掛かる。
「お兄さんたち!やっぱり四階じゃなくて五階を使いなぁ!話は通しとく、良い夜を!」
床で目を回していた男たちは、どこからか集まった人々にポケットをひっくり返され、小銭一枚も残されず外に放り出されていた。無法地帯特有の自浄作用である。
フロアの中は拓けており、様々な店が並ぶアーケードになっていた。一番手前は異様にレート表示の低い両替商、その奥にドラッグ・ストア、どこに需要があるのか肉屋や果物屋まであるが、煤けた切れかけの白熱灯の光に晒されたそれらは色がくすんでおり、まったく健康的には見えなかった。フロアは奥に行くほど冷房が効きすぎて肌寒く、また日本では見慣れない店が並び始める。やけに生々しい質感のカツラ屋、原色のガラス瓶に詰まった謎のドリンクだけを置いている店、段ボールでできた看板に、高額な香港ドルが書かれているだけの店……いずれの店先にも空の瓶ケースや椅子が適当に放置されており、店員や近隣の住人らしき人間が適当に座っている。往来する人間に話しかけては来なかったが、きっちりと観察しているのは雰囲気で察せられた。
フロアの一番奥にはエレベーターと階段があった。カイとレイは階段を使い上階へ登ることにした。踊り場の壁一面には、張り紙やポスターが所狭しと敷き詰められていた。一番多い文字は広東語だが、次いでタイ語、スペイン語、アラビア文字などが並んでおり、ここの主要な利用者層が見えてくる。
二階は同じようなアーケードフロアだったが、三階からはマンションの共用廊下のよな作りになっていた。廊下の左右にはドアが並び、看板が出されている。これもまた店のようで、会員制のクラブか何かだろうか。何故かうっすらと煙たく視界がけぶっている。そして床には横になっている男、火気厳禁のポスターの下で煙草(のような物)をくゆらせている女、その目の前を走るやたらでかいネズミ。一瞬フロアを覗いただけでこの情報量である。当然見なかったことにして四階に上がる。本来泊まるはずだったフロアであるが、そこも三階と大差無い光景が広がっていた。カイはこの辺で頭が痛くなってきた。レイは甘ったるい匂いがして身体がかゆい、と零していた。
ところが、受付嬢に指定された五階は一転した雰囲気だった。匂いも煙もマシで、フロア前にはささやかな柵がある。そこに立つ男に話して料金を支払うと中に通される。至って普通の白熱灯、清掃されているとは言いがたいがゴミも吸い殻も散乱していない廊下、
一番手前には24H!とでかでかと書かれた店のドアがある。ガラス戸になっており、英語で「何でも売っている」と書かれている。おそらくコンビニのようなものだと察せられた。
廊下を進むと、普通の黒い鉄製のドアが三つ並んでいる。そこでこのフロアはおしまいだった。外鍵は見当たらない。門の男に指定された一番奥のドアまで進む。
カイを制してレイがドアノブに手を掛ける。一瞬、中の気配を探るような素振りを見せたが、そのまま押し開いて入室した。
「……すごく、普通だ……」
カイの第一声はそれだった。部屋は極めて狭く、ベッドが面積の大半を占めている。壁は煙草でやられていて黄ばみがひどい。ミントの芳香剤をぶちまけた匂いがする。それでも、電気はつくし、エアコンはあるし、マットレスを二つくっつけたベッドにはとりあえず清掃してある。何より、入り口ドア横すぐの扉の先にはユニットバスまであり、ちゃんと勢いのある水が出る。湯も出る。この建物の中で破格の待遇なのは間違い無かった。ここはおそらく、VIPルームなのだ。これでも。
「カイ、こういうの慣れてないんじゃないか?」
「俺からすれば、ヨーロッパの古城ホテルなんかの方がよっぽどだぞ。ユーロの連中は怒りそうだが」
設備は必要充分にそろっている。本来、一見には使わせない部屋なのかもしれない。受付嬢の誠意はありがたく頂戴しておく。
腰を落ち着ける前に、ざっくりと部屋の中を確認する。ベッド脇には大きな窓があり、外には細い格子状の窓枠が掛けられている。ベッドの向かいにはすっかり日に焼けた木製の台があり、やけに分厚いテレビが置いてあるがスイッチを入れても沈黙している。レイ曰く、エアコン以外の電子機器は動いていないとのことだ。盗聴器の類いなども、あれば気配で分かるらしい。金属を司る白虎の力の一端なのか、レイの五感のなせる技か。カイはもはや、いちいち驚くのを止めていた。
テレビの下には観音扉の棚がある。中には冷蔵庫など上等なものは一切無かったが、300mlくらいの桃色のボトルが二本、おもむろに置いてあった。ジュースだろうか?まさかルームサービスだとは思わなかったが、そこには英語のメッセージカードが添えられていた。
「ぶっトぶくらい最高の夜を♡追加のご要望は一階『Pink♡Night』へ!」
カイはものすごい勢いで扉を閉めた。
「カイ、どうした?」
「何でもない……そうだ虫だ、でかい虫がいたんだ。ここは開けるなよ」
「そうか。こっちの床にもこのくらいのゴ」
「レイ、今すぐ入り口のコンビニに行くぞ虫除けと着替えも必要だからな早く出ろ」
レイが指で作った輪の大きさを見て、カイはすぐさま買い物に出ることを決意したのだった。
フロアの入り口にあった24H!の店内は意外に広く、カイの想像よりも遙かにマシな雰囲気だった。ロクな品揃えを期待していなかったがその逆で、弁当類が無い代わりに衣料品コーナーがある、コンビニのような構成だった。ただしその商品全てが、いつから置かれているものかは不明であるが。店内に人はおらず、フロア入り口の門の男がレジを対応するとのことだった。
カイはさっそく虫対策用品をいくつか発掘し、タオル、ミネラルウォーター(中身が水道水に入れ替えられていないことを祈る)などをレイが持つカゴに放り込んでいく。カゴには何故か日本のコンビニチェーンの名前が書かれていた。
衣料品コーナーはおざなりに男女で分けられているものの、季節もアウター・インナーも区分なく、ハンガーでぎゅうぎゅうに掛けられていた。とはいえ、この建物ではVIP向けの店のためか一通りの選択肢がある。
「案外まともな服が置いてあるな……」
「カイはどんなものを想像していたんだ?」
「いや部屋に置いてあったモノからして……何でも無い」
ともかく、カイもレイもほとんど服をだめにしていたし、ここはクリーニング設備もないから着替えを買うしかない。
レイは、サイズや材質をチェックしつつ右から左へとハンガーを捌くカイを眺めていたが、やがてあくびをしながら「おれのもてきとうにえらんでおいてくれ」と言い残し菓子コーナーに消えていった。下着は自分で選んでおけよ!と言うカイの言葉もすでに届いていない。
このでかい猫のこういうところだ、こういうところ!と内心毒づくカイだったが、結局面倒を見てしまう生真面目な性分なのであった。
なお、菓子の合間に平然と置いてあった紛らわしいパッケージのラブ・グッズをレイが間違えてカゴに入れてしまったのに加え、カイがカゴ二つ分も着替えを会計したのを見たレジの男に「夜通し[[rb:大人の運動会 > バトル]]する気かな?」という目で見られたのだが、「今晩はお楽しみですね」と掛けられた言葉が広東語のスラングだったので二人は気づく由もなかった。