原作カレーカイ序章

序章


 床から天井まで一面に作り付けられた窓から差す日が強い。
 南に面して作られたこの部屋は、この時期、早朝から19時過ぎまで明るい。地上100m以上の高さにあるここでは蝉の合唱こそ響いてこないものの、卓上の花瓶には、眩しい色の花々が賑わい季節を感じさせてくれている。ひまわり、トルコキキョウ、芍薬、デンファレ――つい先日までは、見事なグラデーションの紫陽花がそこに活けられていた。
 夏の盛りである。
 カイは、この時期をことのほか気に入っている。

 従来通りであれば、今このとき、カイはのんびりと椅子に腰掛けている予定ではなかった。毎年、真夏のほんの数日間、ベイブレードの個人大会が開催されているからだ。今年は別のスポーツリーグが重なった都合上、ベイの大会が秋口に延期になっている。
 カイはこの大会に欠かさずエントリーしている。世界大会の代表権への加点にこそならないが、この大会の醍醐味は世界中の猛者と一から闘える点にある。年齢、性別、立場、実績など一切関係ない無差別級のため、厳選なる抽選で対戦カードが決まる。それはもちろん、同じチームの仲間であったとしても例外はない。永遠のライバルである木ノ宮、マックス、今は学業に専念している大地、稀にブレーダーとしても参戦するキョウジュ……。
 カイはふと、卓上のひまわりに目をやった。陽光を反射し輝く花弁のイエロー。
 (そういえば、去年の大会にはあいつだけ来なかったな……)
 金李(コンレイ)。
 国別の代表としてやりあう時もあるが、10年来の付き合いになるチームメイト。しかしその実、会話らしい会話をしたことが無いと気づいたのは、大会の欠席を現地で知った時だった。なんと連絡先すら把握していなかったのである。英国上流貴族のマクレガーすら並ぶ連絡リストに「金李」のたった二文字も存在していない。これにはさすがのカイも驚いたものだ。
 レイは、闘いにこそどん欲だが、普段は食うか寝るかの顔しか見せない(と言ったら一度喧嘩になったが)存外と寡黙な男だった。連絡先の交換などしている相手は極僅かだろう。
 何より、奴は強い。何度となく魂を賭けてぶつかり合ってきたカイはそれを知っている。ブレーダーとしては、それで充分かつ最大限のコミュニケーションではないだろうか。

 レイが大会に欠席したことはブレーダーとして確かに大事(おおごと)だとは思う。しかし、奴の逞しさであれば万にひとつのことも無いだろうと誰もが思っていた。
 (大人になれば、ベイ以外にも大事なことが増えるものだ……)
 窓ガラスに映るカイの背丈は、中学の頃からだいぶ伸びている。それは、木ノ宮も、マックスも、他のみんなそうだった。
 そこにしみじみとした思いを覚えるほどの歳ではない。強さを求める心が変わらなければそれでいいし、これからも切磋琢磨を続ける関係でいるだろう。それ以上も、以下も必要無い。カイはそう結論づけている。 
 カイとレイとの関係は、一言では言い表せない不可思議さである。昔から変わらない、レイの長い髪の尾が記憶の端で揺れるくらいには近いのに、スタジアムを降りた場所ではまったく接触が無い。しかし、それぐらいで良いのだ。お互いに。
 マックスにレイの現在(いま)を尋ねてみようと思ったほんの一瞬の気持ちは、そこで落ち着いた。毎年あるべき闘いが今年は無いから、きっと物足りなさを感じていたのだ。らしくない思考は、そのせいだ。

 アッサムブレンドのアイスティーを飲み干し、手元のタブレットを立ち上げる。
 ディスプレイが光を点したその瞬間に、花を愛でていたその眼差しはすっかりと色を変えていた。
 
 コン、コン。
 静かだった空間にノック音が響く。
「社長、取締役会のお時間です」

 分厚い扉の向こうから、くぐもった声が掛かる。簡潔に返事をして、カイはタブレットと手帳を手にデスクチェアから立ち上がった。

 今のカイには、戦場がもう一つある。

 社長室の重厚な扉を押し開き、火渡カイは第一大会議室へと足を向けた。

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